柳川藩主立花邸 御花 | 福岡県柳川市

立花氏庭園の歴史

1738
元文3年
江戸時代中期
江戸時代の御花畠

江戸時代の御花畠

柳川五代藩主・立花貞俶(さだよし)により、藩主とその家族が生活する場として、柳川城内にあった屋敷の一部が移され、御花畠と呼ばれるこの地に別邸を築く。

1910
明治43年
立花寛治

立花寛治

立花家十四代当主・立花寛治(ともはる)の住居として、伯爵邸(大広間・西洋館・御居間・御役間など)と庭園「松濤園」がつくられる。

立花寛治完成直前の大広間と職人たち

立花寛治完成直前の大広間と職人たち

大広間西の間(明治43年頃)

大広間西の間(明治43年頃)

立花家の人々(大正3年)

立花家の人々(大正3年)

大広間東の間(明治43年頃)

大広間東の間(明治43年頃)

雪景色の松濤園と大広間(大正前期)

雪景色の松濤園と大広間(大正前期)

1950
昭和25年

立花家十六代当主・立花和雄(かずお)が、歴史的建物を利用して「料亭旅館 御花」を創業。

料亭旅館 御花
1978
昭和53年8月
「松濤園」・「大広間」・「西洋館」・「御居間」など、柳川藩主立花邸御花の一部が、国名勝に指定される。
2011
平成23年9月
「御役間」・「東庭園」などを加えた、柳川藩主立花邸の全敷地7千坪が「立花氏庭園」として改めて国名勝に指定される。
国名勝」とは
美しい日本の風景に欠かすことのできない、学術的価値の高い景観として、国(文部科学大臣)が指定し保護する地のこと。